昭和36年、高度経済成長の勢い増す日本のとある駅ホーム内に、立食いのきしめん屋が開店する。
多くの人々の英気を養い、送り出し、迎え入れてきたその店の名は、《きしめん住よし》。
今もなお、駅きしめんとして地元や出張者に愛される名店だ。
名古屋に来た時は、あんかけスパゲッティが多かった最近だったが、今日は、駅ホーム内の店にして最強の呼び声高い《きしめん住よし》に立ち寄った。
オーダーは人気の『かき揚げきしめん玉子付き』。
中学時代、1年間と少し、名古屋に住んでいた事がある。
楽しい友人達に恵まれ、とても幸せな時間を過ごした。以来、私は名古屋に対して幾ばくかの特別な感情を抱いている。
そんな中でも、私に強烈なインパクトを与えてくれた情景がある。
【たません】。
薄い大判のせんべい2枚の間に、焼いた卵と鰹節、マヨネーズやウスターソースなどを挟んで食べる、プチリッチな駄菓子だ。
当時は友人達と自転車で駄菓子屋に行き、毎日といってもいいほど【たません】に明け暮れた。
たませんを出す駄菓子屋は、私達のエリアには二箇所あり、それは双方共に、90歳近いと思われるおばあちゃんが切り盛りする店だった。
地元子供達のシェア争いに凌ぎを削った二つの流派。川沿いの小さな掘っ建て小屋流派と、住宅地の小さな掘っ建て小屋流派。
私達が贔屓にしていたのは、前者、川沿い流派。
住宅地流派は、鰹節の風味が強すぎて、味全体のバランスが良くないなどと吹聴していた記憶がある。(あとはおばあちゃんが意地悪そうだった。実際はそんな事ないのだが…)
駄菓子屋内には【たません】製造用の鉄板があり、たった100円で、腰の曲がったおばあちゃんが魔法のように【たません】を作ってくれる。
完成品は、透明のビニール袋に入れられ、私達の手元にやってくる。袋に入れないと、中の半熟玉子やマヨネーズがせんべいの間から滴り落ちてくるのだ。
これがとっても美味しい。
頬張っていると笑みが溢れる。ビニール袋の中にはマヨネーズが溢れる。
口の周りがソースとマヨネーズだらけの沢山の【たませんフリーク】達が、駄菓子屋から溢れる。
その情景は、タトゥのように在り続け、消える事はない。
【たません】もまた、高度経済成長にある日本を、日本の子供達を、喜ばせてきたのではないか。なんせ二流派とも、90歳くらいのおばあちゃんがやっていたのだから。
ツルツルのきしめんと、サクサクのかき揚げ、出汁が効きまくったつゆ。《きしめん住よし》を味わいながら、そんな情景に想いを馳せる。
かなりの確率で、あの二つの駄菓子屋は、もうないんじゃないか…。
あの場に寄り道できないスケジュール設定を惜しみながら、残る名店と消え行く名店について考えた。
まだ消えていない事を、当然どこかで信じている。
ふいに、たませんを食べたくなり、自宅で作る事がたまにある。
再現度は8割程度。最後の2割を埋める事がなかなかできない。想像を超えた隠し味、魔法が必要なのかもしれない。
「実はこんな魔法を使ってたのさ」
と、110歳になったおばあちゃんが教えてくれるんだったら、どんなに幸せな寄り道になるんだろうか。
Yorimichi with 「Honesty」 Billy Joel