Yorimichi #10:軽井沢と静寂の車内
小学校時代の話。
朝から放課後まで、いっつも一緒に遊んでいた友達がいた。
その子は、どこかから転校してきた子で、よく笑う子だった。
いっつも一緒だったので、五年生になった時、同じ運動系のクラブ活動に入った。
週1回のクラブ活動ではあったが、私達は一生懸命練習した。
そのうち、クラブ活動の先生から、「2か月後の日曜日に、隣町の小学校と試合をする」と通達があった。
私達は必ず一緒に試合に出て、必ず二人で活躍して、必ず勝とう、と約束をした。
それから暫く後、試合まであとひと月足らずという時、父の仕事の都合上、私の転校が決まる。
転校の日取りは、約束の試合の日だった。
引越しの経験はそれまでもあった。私は転勤族の家庭で育ったのだ。
私は、転校をクラスメイトに伝える事が、本当に嫌だった。
この子はもうすぐいなくなっちゃう、と特別扱いされてしまう事。
特別じゃない日常が、いつも一緒にいて当たり前という日常が、とっても大切なんだ。
そんな日常にいつまでも居たいと思っているのに、そこから外されてしまう事。
それが嫌だった。
担任の先生が転校の数日前に、みんなの前で私の転校を発表するまで、私はクラスの誰にも引っ越す事を話せなかった。
もちろん、一緒に試合で勝とうと約束していたその子にも。
担任の先生が淡々と私の転校を告げるその傍らに私は立っていた。
後ろの方の席に座るその子と目が合った。
目を丸くして、信じられない、というような顔つきだった。その表情は、今でも鮮明に覚えている。
私は友達を裏切ってしまった。
その後数日間は、悲しみに打ちひしがれながら、ひっそりと過ごしてしまった。
そして引っ越し当日の日曜日。
私達家族は、ご近所の皆様の温かいお見送りを受けながら、出発の準備を進めていた。
(もうすぐ試合が始まるな。あの子、活躍できるかな…)
(今頃試合中だな。勝てるかな…)
家族が荷作りをしている間も、気が気ではなかった。
そろそろ出発という時である。
「お友達が来てくれたよ」
近所のおばさんが私を呼んだ。
え?
振り返ると、今試合中の筈のその子が立っている。
私は驚いて、混乱して、その子のもとへ駆け寄った。
「試合は!?どうしたの!?」
「休んじゃった」
その子はいたずらっぽく笑った。
「…!…何で…??」
私が聞くとその子は、何でそんな事を聞くのかというふうな目を真っ直ぐ私に向け、
「だって2人で一緒っていう約束だったじゃん」
と言った。
はいこれ、とプレゼントをくれた。
引っ越しても忘れない事。私達以上の友達を作らない事。たくさん文通する事。
新しい約束を取り交わし、私たちはさよならをした。
父が運転席に座る車に乗り込む。
ご近所の人達の中に、その子がいる。
わたしは泣きそうなのに、その子はニコニコしている。
悔しいので泣くのを何とか堪える。
ばいばーい!!
走り出す車から身を乗り出し、手を振る。
あの子、ずっとニコニコしてる。泣かないなあ。なんて思いながら、目が熱くなるのを感じる。
車の中で、もらったプレゼントを開けた。
それは、オルゴールだった。
ぜんまいを回すと、カントリーロードのメロディーに合わせ、牧場の熊さんがくるくる回るオルゴール。
カントリーロードのメロディーが車内に流れ、オルゴールが動き出した瞬間、最大限の我慢でせき止めていた涙が、決壊したダムの様に溢れてきた。
ありがとう、大事にするね。
友達になれて良かったよ。
その子と当たり前のように過ごしてきた日常が、頭の中に浮かんでは消える。
その日常は、私にとって《特別》になったのだ。
車内は、カントリーロードと私の泣き声で占拠されていた。
普段おちゃらけて賑やかな父は、黙ってハンドルを握っている。
普段はおせっかいでお喋りな母も、いたずらばかりの弟達も、静かに、おとなしく前を向いている。
いつもの我が家だったら有り得ない、静寂の車中で、私は涙を流し続けた。
いつになく真剣な表情で運転中の父が一言、「いい友達を持ったな」
と言った。
私は泣きながら頷いた。
軽井沢でビールを飲んでいたら、そんな思い出とカントリーロードが心に流れたのです。
Yorimichi with 「Take Me Home, Country Roads」John Denver